歌謡ポップスバンド"謡楽堂"のドラム DAM & 

 

洋楽オールディーズバンド"Seぴあ(セピア)"のドラム DAM

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町田の歌謡ポップスバンド"謡楽堂"&洋楽オールディーズバンド"Seぴあ(セピア)"のドラム DAM

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DAMのプロフィール

・プロフィール: 1955年生まれ/社会人/九州生まれ九州育ち
東京都に生息
中。
・好きなもの: 海外/音楽/自然
・好きな食べもの: ラーメン/酒/蟹
・好きなドラマー: スティーブガッド/レニーホワイト/神保彰
・好きなシンガー: 沢田研二/竹内まりや/サラ・ブライトマン

 俺のドラム遍歴
小学校4年生だったか?5年生だったか?  運動会の鼓笛隊の選抜があった。
クラスの生徒一人一人に小太鼓(スネア)や大太鼓(ドーーン、ドーーン!)を先生が叩かせた。「お、小太鼓って面白い! それに俺って上手いじゃない。」などど内心思っていたが、選定されたメンバーには、残念ながら俺の名前は無かった。
「がーーーーん!」「どうしてだ!」「あんなに上手かったのに・・・」と、幼心に傷を負った俺は、その傷を心深く沈め中学生になった。当時ビートルズ来日に刺激を受けた歌謡界が、グループサウンズなどと言うものを造り出し、不良共がこぞってその世界に足を踏み入れた。俺の周りでもバンドなどをはじめる連中が出始めた頃、俺はスティックを買った。

近くの材木屋で1mくらいの家の柱の切れ端しをもらい、その端にまたがり、幼心の傷を癒すように、そして気持ちをぶちまけるように、節目めがけて毎日毎日スティックを打ち下ろしていた。それが俺のドラムとの付き合いの始まり。 
しかし・・・
中学校のバンドでは俺はギターを弾いた。それは幼心の傷が癒えていなかったからだった。「また選ばれなかったらどうしよう・・・」そんなデリケートな中学生だった。

やがて高校に入ると、チューリップや岡林信康やハッピーエンドなどと言う、いわばJ-POPの元祖たちをやろうと周りが誘ってくれた。ギターの弾き手はわんさかいたので、俺は「んじゃ、ドラム叩くよ」とやっとホンモノのドラムの世界に足を踏み入れた。勉強の合間に机に座って、足と手をドタバタやってたから一応まぁ当時の高校生のレベルにはついてゆく事が出来た。ドラムを叩きながらも、家にいるときはギターを弾きながらオリジナル曲などを作っていたっけ。

その甲斐あって、大学に行くと軽音楽同好会なるものに入ることになる。
そこには多数のバンドがあり、弾けた俺はドラムとしてのバンドとギターのとしてのバンド加入をした。まぁ楽器が出来ればなんでもいいという、お粗末なバンドだったから「腕」のほうはさだかではない。当時、荒井由実(今のユーミン)や大橋純子や金子マリなんかが出てきて、日本にもゲーノーカイに毒されていない日本のポップが芽生えてきていた。自分でも曲を作っていたので、ドラムで加入したバンドもギターで加入したバンドも、オリジナル曲中心のバンド活動となる。だからあまりコピーなどやっていない。他人を真似る(コピー)という基礎を身に付けないまま『我流』のドラムで通した俺は、よく言えば個性的な、真っ直ぐ言うと偏ったドラムワークで伸びが止まってしまった。だから当時出始めていたクロスオーバー(今のフュージョン)も好きではあったが微妙な部分で付いて行けなくなっていた。そうして社会人になり、いつしかドラム、いや音楽の事さえ忘れていった。

2007年の年末、忘年会で行ったバーにドラムが置いてあった。酔いに任せてスティックを握った俺は、酒の酔い以上にスティックから伝わる振動に快感を感じていた。そして年が明けた1月、先にドラムを叩き始めていた息子に買ってやっていた、ROLAND TD-3KSを「グレードアップしてやる」という名目でTD-12Custom仕様を買った。50歳を過ぎて再びドラムを叩こうとは・・・

しかし、この先も下手なドラムでストレスを解消してゆくつもりだ。


 ささやかな夢
せっかく再開したドラム。この先も続けて行きたい。そして70歳くらいになった時、田舎のログハウスの暖炉の前で。のんびりとセッションできる仲間達とバーボンでもくゆらせたいね。